nohara_megumiのブログ

自分がおかしいことを自分が一番わかってる

児玉美月さんへ(私信に似た何か)

※この文章は、私には同じ類いの問題を含んでいるように思える『こちらあみ子』と『怪物』に対して、前者は称賛し後者には疑問を呈している"クィア批評家"の児玉さんに向けた、疑念と期待の私信であり、一連の話から離れてきちんと病気療養をとるための私自身の気持ちの整理日記でもあります。この件(あみ子と怪物)について私は児玉さんと考えを異にしていて、それを批評業界の話に広げつつ軽い批判も含んだ懇願を何度かしているのですが、はじめに「当事者の声を無視してはいけない、これから(ブログを)良く読んで考えます」というメールを頂いたきり一切応答してもらえていないので、その後本当に読んでくれたのか、考えてくれたのかは定かではありません(連れ合いに同じタイミングでツイートしてもらうよう頼んでいたのですがそちらには反応して私には無反応が続いたのも恣意的に感じられてしまいました)。不誠実とまでは流石に思わないけれど私も私でもやもやするので、ここに最後のメッセージを残させてもらうことにします

※勘違いされると困るのですが、私は他で散見された児玉さんを不当に貶める言説に与する気は一切、ありません。児玉さんが日本の映画業界に対して貢献していることの大きさを、映画自体と映画に触れるクィアたちに向けた誠実さを、心から尊敬しています

 

 

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『怪物』関連で今、児玉さんが柵と攻撃の中で奮闘しているらしいことを知り、そのような状況では『こちらあみ子』関連の私からのメッセージもまた圧になりかねないと判断したため、もう私から児玉さんに何かを振るのは終わりにしようと思い、こうして最後の文章を打っています。すぐにではなくてもいつか何か書いてくれれば……とはじめは思っていたものの、(私がしたような指摘には)公に何も触れてくれないまま別件には大見得をきる姿に若干不信感が沸いてしまい(「信念を曲げてまで欲しい仕事などな」くとも、金銭を受け取った仕事については何も言えないのでしょうか……)、これはきっと批評業界全体の問題なのだろう(というかそういうつもりで考えてほしい)と話を蒸し返すようなことをしてしまったことを、反省しています。しつこくて本当に済みませんでした。

 

 

ただ、トランス差別反対を掲げていても無邪気に精神疾患/知的障害等を踏みつける発言をする人々に日々ふれる中で、児玉さんのような信頼に足る人にまで、しかも公の場で、マイノリティとしての発達障害の当事者性を無視されるのは、本当に辛く、悔しく、悲しかったです。そのことだけは、最後に強調させて下さい。

 

 

……匿名だからこの際書いてしまいますが、私はASDADHDはもとよりDV被害・性暴力被害(発達障害の人が受けやすい典型的な形と医師からは言われた)から複雑性PTSD鬱病ほか幾つかの精神疾患を発症さらにそののちME/CFS含む3つの難病を併発して患うことになった身でもあります(またアセクシャルの自覚からフェミニズム批評クィア批評を好んで読んでいます)。当然いじめや貧困とも無縁ではなく、弱者であるほどより弱い立場に追い込まれやすい(複合的マイノリティになりやすい)ことを、身をもって痛感してきました。だからこそ、精神疾患患者からのトランス差別が、GSRM当事者からの精神疾患/障害差別もしくは透明化が、ネット上の言説では特に無自覚に行われている(差別する相手を非難するために「頭がおかしい」とか「空気よめ」とか「人でなし」という差別語を気軽に使ってしまう「反差別」の人が少なくない)ことに対して、やるせなく耐え難い感情を抱いています。せめて、児玉さんのような真摯な"クィア批評家"には、その現状を打ち破る視点から『こちらあみ子』を評していただきたかったのです。

 

 

児玉さんにしてみたら「発達障害のことなんて知らないよ」といったところでしょうが、(繰り返しになりますが)残念ながらあらゆるマイノリティは重なりやすい性質をもっていて(病気、性被害、虐待、いじめ、貧困etc) 、それは児玉さんが批評の主軸としているGSRMについても例外ではないはずだと思います。私が『こちらあみ子』にしつこく拘るのも、子どもの時点で適切な環境/支援/知識にたどり着く(周りがフォローする)ことができればその後わたしが経験したような種々の被害や病気(二次疾患)に関わってしまう可能性を下げることができると思ったから、そして無責任にあのような映画を作り称賛し実際の当事者たちの困難は他人事として関心すらもたない大人たちの手からかつての自分を(もちろん今の子供も)助けられるかもしれないと思ったから。……この気持ちは、いま私が『怪物』に対して抱いているものと、そして多くのクィア当事者が『怪物』に対して唱えている「否」と、合致する部分が多いと思うのです。要するに、別ジャンルの話なんかでは、決して、ない。

 

 

……どうか、そのことを少しでも、ほんの少しでも頭の片隅に置いていただいて、今後は多方面のマイノリティにも想いを馳せた"クィア批評"を目指していただけないでしょうか。

 

 

病身でこれ以上疲弊するのも嫌なので、私はもうこの先、日本映画の批評も、児玉さんの文章も、読むことはないと思います。けれど、児玉さんがGSRM当事者をどれだけ勇気づけ、救っているかは、私もよく理解しているつもりですし、このさき児玉さんが、GSRM以外のマイノリティも蔑ろにしない、踏みつけない、より広い視野を射程にいれた"クィア批評"の地平を開拓してくれることを、誰よりも期待しています。

 

 

私から伝えたいことはこれで全てです。 読んでくださったとしたら、ありがとうございました。

 

……もしかすると、この次、私が児玉さんの"ことば"に触れるのは、児玉さんが撮った映画を観るときなのかもしれないと予感しながら、

 

今後益々のご活躍を、お祈り申し上げます