nohara_megumiのブログ

自分がおかしいことを自分が一番わかってる

泥ノ田犬彦さんへ(君と宇宙を歩くために、再び)

※一部修正(最終2024.4.12)

 

私はASDなのですが(……そしてそれとは別にすごく厳密な性質なのでここでの話は大袈裟に聞こえるかもしれませんが神経系難病もちでネット使用厳禁を言い渡されているのに病状を悪化させてまで書かざるを得なかった切実さは腐したいという軽い気持ちとは真逆のものです)、「君と宇宙を歩くために」のような作品が世の中で称賛される様子を冷ややかな目で見ています。

 

作者さんは「宇野くんには明確なモデルがいて自分はその子が大好き」と仰っていますが、発達障害〜グレーゾーンを彷彿とさせる(多くの人が感想にその言葉を入れています、作中にそう明記している/いないは関係なく、そう連想させる作品をあなたが描いたということです)キャラクターを描く上で(つまり「友達」とか「大好き」とかいう言葉以前にマイノリティ属性と分かち難い人物を描く上で)、その「特定の個人」以外の情報は参照しなかったのでしょうか? ASDと苛め/トラウマの関係やそれにも起因する精神疾患発症率の高さ自死率の高さについて、障害者運動の歴史とそれが問うてきたもの、医療者や支援者への当事者自身からの反発について、そして何より、(漫画に限らない)フィクションにおいて、発達障害者がどのように描かれ、どのように受け止められ、その結果どんな形の差別が(……侮蔑だけでなく妬みもまざった差別が)形成されて2024年に至っているのか、少しでも調べてみたのでしょうか。

 

障害の有無に関わらず誰にとっても「普通」のハードルが高い困難な社会だと私も感じていますから(一人ひとりの苦しみは比較できない固有のものでマイノリティだけが苦しいと言いたいわけでは決してありません)作者さんがご自身を「生きづらさを抱えた繊細で感受性豊かな自分」と認識することも当然(自由)だとは思うのですが、同時に、あのようなキャラクターを描きながら現実を生きる複数の当事者(無論あなたのお友達だけではない)への配慮(トリガーアラート)を必要なしと判断してしまえる特権性(マジョリティ性)と鈍感さが自分の中にあることについて、もう少し、向き合ってみてほしいです*1

作者の意識と表現の内容、そして受け手の態度の全ては相関関係にあります。私が冷然と見ているのは、この漫画単体に留まれない、作品と作者であるあなたがその外に生成した連帯と排除の構造で、それは作品内で目指されていた共生の世界とはかけ離れたものだと認識しています。瑕疵を指摘したASD当事者の方(私ではない)に対してあなたやそのファンたちが示した「反応」(現実)は、あなたが描きたかった作品世界とどんな関係性にあるのか、一度しっかり考えてみてほしいのです。

 

「60万人が共感し、涙した」という度し難い惹句がつくほど(勿論ついたからこそ、とも言える)沢山の人に評価された、大きな賞も受けた、それらの事実が証明するのはこの漫画の素晴らしさというよりも、この漫画がそれだけ「多くの人にとって分かりやすい」ものだったということではないでしょうか*2。そして多数派にとっての「分かりやすさ」は往々にして、周縁化された存在を置き去りにしていく。そのことを、創作に携わる者なら、

(……少なくとも弱者や社会の片隅でその繊細さに苦しむ人を意識的に描こうとする作者なら)

忘れてはいけないはずだと、私は思っています*3

 

*1:経緯を説明すると……作品内におけるマイノリティをめぐる描写に注意喚起がほしいという某ASD当事者の意見に対して作者は、これは「ヒューマンドラマ」だから「人間関係の衝突」は今後も発生するもしそれが「刺激になる」なら注意してと「反応」したが、問題とされているのはマイノリティ属性に基づき発生しやすい「トラウマ症状」であって、「刺激になる」と矮小化したり「ヒューマンドラマ」と敷衍化してしまえるのは作者が当事者性に無頓着である証左でそういった意識は作品内容にも反映されていると思う。支援者たちがこぞって称揚する作品なんてそれだけでも相当にグロテスクではないか。またファンからも例によって「嫌なら見るな」「傷つく権利は誰にでもある」等、作者擁護意見者非難の声が多く上がっていたが、「弱いもの苛め」という言葉が示すように攻撃とは社会的に弱い立場の少数者に向かいがちなものであり「傷つく権利」という発言はその不平等性に気付かずにいられる自分が実は「傷つける側」にいると分かっていない典型的な例だろう

*2:蛇足ではあるが賞をとる/売れるのが悪いという意味ではなく、作者の意識、表現の内容、受け手の態度の間に生じる相関関係を批評的に見ることも作品制作の重要な一翼であるということ

*3:上記に同じく、分かりやすさそれ自体が害悪という意味ではなく、とりこぼさざるを得ないものに対する創作者の認識不足を問題としている