※とらわれを手放したくてイアン・リード*1をもじったつもりだがあまりにも普通で言われなきゃ分からない題になってしまった
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私自身にも当てはまる「思考や言語化が不得手な性質」それ自体は、受け入れ付き合っていくしかないもの(ないし向き合うことで世界を広げてくれるもの)で、だから良いとかだから悪いといった評価軸で捉える必要などないように思えるのだがそれを「感性の豊かさ」と安直に言い換えてしまえるような「感性」には、辟易させられることも多い。「頭のいい人は短く説明できる」とか「気持ちを分かってくれるのがいい医師」といった考えにも繋がる短絡さ------それこそ分かりやすくまとめられただけの言葉に簡単に納得してしまう自分を、私ならまず恥じるだろう------が自己完結している分には構わないのだが、ただ黙しているにすぎないこちらの事情など一切考えもせず「感受性が豊か」だとか「生きづらい」だとか何度もこぼされるのは、聞き手としてもそれなりに負担が大きい。
そう思うようになったのは、縁が切れるまで15年は付き合いのあった知人の影響で、「感受性が豊か」だと自ら教えてくれたその人は自身の「生きづらさ」や実家が裕福ゆえの懊悩をよくぼやいていたのだが(そういう話は小学からの一貫私立校同窓生相手にした方が……とは思ったが恐らく本当に生活水準の差に無自覚だったのだろう)*2、当にその時、私の家族は暴力によって散り散りになる渦中にあったし(私はきょうだい児でもある)、今一緒にいる駅のホームから見える大学病院、あそこに私は長年通っているんだよ、なんてとてもじゃないけれど言いだせなかった。苦しみは人それぞれだということ、殊、家庭内の息苦しさは表面的な条件に関わらず子どもたちを追い詰めがちだということを(自分の経験からも)理解しているつもりの私はいつも、曖昧な相槌を打って、しかし余裕の無さから心にしこりを残し続けた。知人が聞かせてくれる心理的な「悩み」とはかけ離れた、卑近で野蛮にすら思えるその頃の自分の、あまりにも生々しい経験とそれに伴う感覚を、私自身が一番、持て余していたように今では思う。肉体的に振り回されすぎていて、若者らしい内省を吐露できる人々を何かテレビドラマの登場人物のように遠く捉えてしまうことも、しばしあった。
時が経っても、知人に感じていた「私とは別の形の幼稚さ」への違和感*3は、膨らみこそするものの、萎むことはなかった、ある時、軽躁の不如意な苛立ち(ちょうど診断名が鬱病→双極Ⅱ型に変わった頃だった)も手伝って、抱えた病のいくつかを投げやりにぶちまけてしまった私------それでも古くからの自己免疫系疾患についてや今に至るまでの環境の理不尽さには一切触れなかったのは、遠慮ではなく、感傷的な返しをされそうで面倒だったから------に彼女は、前向きな文言を返してくれたのだけれどその、自己啓発本やPHP文庫からとってきたのかと見紛う手垢まみれの物言いたちにやはり10年以上くすぶっていた、「思考力の低さを感性の豊かさと誤認して満足してしまう感性のありよう」への不信を再燃させずにはいられず、一層苛立った私は苛立ってしまう傲慢で鈍感で残忍な自分をこそ、罰するため、またぞろ嘔吐に走るのだった。
己の愚かさは棚に上げて大切なはずの人に容赦ないことを考えてしまう自分は勿論、この世界で一等、醜い。と同時に、「年下の異性をお兄さんと呼べるようになって生きづらさが減ってきた〜」とのたまう知人の感覚も、永遠に理解したくはなかった。見知らぬ他人をお兄さんと呼ばざるを得ないような状況が私の人生には無かったから言えることなのかもしれないが、年上だろうが年下だろうが、知らない誰かにお兄さんと呼びかけるような真似は、私は、出来る限り、したくない。平気にもなりたくない。知人は昔からずっと「ご主人」という言葉を使っていて当時から違和感しかなかったからその辺りの言語感覚は全然違うのだとは思うしそのこと自体を否定するわけではないが、彼女がそういう自分を「感受性ゆたか」と評するのなら、私はどこまでも論理的な人間を目指したいとすら思ってしまう。無論、感情制御の薬を飲まずに暮らせない人間にそんなことは不可能なのだが、少なくとも、生まれ持った性質や思春期の名残りの鋭敏さに寄りかからず(或いは逃げず)思考や経験のゆらぎに注意深くあることでしか更新し続けられない胆力の方が、遥かに世界を細密にするのではあるまいか。年齢によって息をしやすくなったり幸福を実感できるようになるのは素晴らしいことだが、「年を取って生きづらさがマシになった」と安易に語りだすこととそれはイコールではないだろう、そんな浅薄な台詞は何があっても、どれだけ幸せであったとしても、私は口にしたくない(こういうところが如何にも神経症という感じで自分でもうんざりするが……)。「感性を大切に」とか「言葉にできないものが大事」と一面的に語る人ほど、直感の危うさを取りこぼしていたり言葉を慎重に扱っていなかったりもするものだし(『差別はたいてい悪意のない人がする』し差別言説は素朴な言語感覚によってあっという間に広まっていく……)兎も角、「お兄さん」も「ご主人」も「生きづらい」も、アイロニカルな文脈でない限り、私は使う気になどなれない。
何十回と採血をしてきても未だに気を失いかける私のことを、内科の看護師は「私も一緒、HSPだよねぇ」と笑う(流石に精神科の採血で言われたことはない)。ぐったり伏せた私はそれを否定しない。説明したところで今度は「本当にアスペだねぇ」と嗤われる、そう思うから黙っている。HSP提唱者やその言葉にしがみつく、ASDを都合の良い屑籠として扱っていることに無頓着な者たちに何を話したところで無駄だとも思っているし、群れたがるその人たちを蛇蝎の如く嫌ってはいるものの、「繊細ヤクザ」みたいな言葉で相手を腐す者たちは(問題の焦点をぼやけさせるという意味も込みで)もっと不快だという思いもある*4。でもまぁ結局は、私も単に、「繊細さ」や「生きづらさ」をやたら公言するような人とはもう関わりたくないと狭量になっているだけなのかもしれない……辛いという愚痴だけならこちらも受け入れられるが、苦しんでいるようでいてそれを他者と異なる特別なもののように誇って手放さない感覚の凡庸さに散々付き合わされた挙げ句、こちらが割と重めの状況を明かしだした途端に「生きづらさが減ってきた」とか光がどうとか皮相な言葉を並べられ、底意地が悪い私は思わず「思春期が終わって良かったね!」と毒づきそうになって慌てて息を吐いたのだけども、そこまでせずとも、発言を蒸し返されたことに傷ついた辛くなったと向こうから連絡を絶ってきた、その時、解離症状の中で何とか相槌を打って呆れながらもその「生きづらい」らしい自意識に付き合ってきた昔の自分が、生まれの圧倒的な格差も彼女にとっては「自慢」ではなく「悩み」なのだから身勝手な絶望や痛みは見せるべきではないと堪えていたあの頃の自分が、心底、バカバカしく思えたのだった。生きやすそうな周囲と違って自分だけは傷つきやすいと言わんばかりに嘆いたり怒ったりしていた過去を(生きづらいと言いたがる人は傷ついたとも言いたがる……)知人自身は失念していて、それどころか私の違和感/不快感まで怒りながら否定してくるのだから、やりきれなかった*5。繰り返すが各々の苦しさを否定する気は全く無いし人は誰でも変わっていく、故におかしいのはきっと執念深い私の方だが、過去の言動を、覚えている方が悪いと言わんばかりの剣幕で無かったことにされたり、心配だからと自宅に突然来られたり(もちろん彼女の行動は善意且つ一般的なものなのだろうと礼を述べたが、実のところ私は急に予定を崩されると服薬が必要なほど混乱してしまう)するのは、こちらとしてもげんなりするし、やはり知人のように臆面もなく「生きづらい」と言ってしまえる(雑な言葉に自分をのせてしまえる)人らには、共通して軽佻浮薄な何かを感じて鼻白んでしまう。それは恐らく、「つらい」ではなく「しづらい」という比較表現の微妙さを看過できる精神性が、「感受性ゆたか」だと思い込みたい俗物性(いわば感性の貧困さ、狭窄状態)や卑下の皮を被った特権意識と余りにも合致しているように感じられるからなのだろう*6。
まぁ、所詮すべては私の主観にすぎないし、知人にもそれなりの言い分があるだろうことは想像に難くない、いくら理不尽に感じるからといって(なぜ私は傷ついていないという前提なのか、なぜいつも自分がどう思われるかという話ばかりなのか)、こんなことを書いている私は相当に攻撃的で性格が悪い(精神疾患の長期化と共に性格も人相も更に歪んだという自覚もあるし、相手が全部悪いとは全く、全く、つゆほども、思っていない。私は、書くことはできても、喋ることができない。通院先でも長年取り組んでいる課題だ……)。そのことは理解しつつ、日常とこのブログ全般に色濃く漂う私怨と一度折り合いをつけなければ、週明けに備えた入院治療(摂食障害なのだが、BMIが13を下回ると外来で診てもらえなくなる)も上手くいくまい、という強迫観念にも駆られている。とにかく体重を増やす、食べる、不安を受け入れる、過去を切り離す、身体感覚に慣れる……山積みの課題の向こうに、病床の外に、次はいつ出られるのか。「もう終わりに」すべきことを、私は正しく選択できるだろうか。彼女に会うことは、きっと二度とないだろう。
無事でいてほしい。
*1:小説デビュー作が『もう終わりにしよう。』同作はチャーリー・カウフマンによる映画化でも話題になった
*2:「卒業したら親にまとまったお金を渡されるから一人暮らしをしなきゃいけなくてそれで結婚費用まで賄わなきゃいけないから大変」と深刻な面持ちで言われたこと、大人の習い事のこと、親も交えて食事しようと言われたことなど、所謂「実家が太い」人々の「当たり前」に全くついていけなかった私はいつも曖昧な返事しかできなかったが、相手に悪気が一切ないのが分かるだけに、きつかった
*3:「生きづらい」と幾度も言いつつ「子どもが好き、早く欲しい」とも繰り返していた彼女に「それは産みたいということ?育てたいということ?」と尋ねたら「考えたことない」と返してきたり脚本を書いていながら小説と脚本の違いについても「考えたことなかった」と言ったり、そんな意識で書けるのは逆にすごい……と素直に感心してしまった。その時は無言で流したが、知人のそういう、良くも悪くも大らかなところが、神経質すぎる私には心地よかったのかもしれない
*4:HSPは畢竟カサンドラ現象(症候群)のそれと同類の問題を抱えていると、個人的には思っている。因みに、私は恋愛をモチーフとした作品に全く興味が持てないのだが、一方で他者の恋愛的興味を無意識に卑俗なものとして扱う人たち(≒繊細さの自称をヤクザと呼んで腐す人たち)も大嫌いである。だから興味など1ミリも無くても、恋愛について打ち明けられたらそれなりに頑張って聞くようにしているし、恋愛ソングばかりでなんだかなぁ、という感覚も強くもっているが、何でもかんでも表面的な文脈でしか読み解けない詩的感覚の鈍さも嫌いである
*5:プライバシーがあるので詳しくは書けないが、そこまで忘れるのかと許せなかった「信用されていなくて悲しい、と言われて悲しい、事件」(?)というものがあって、その前提には、彼女があることを隠していたことによって私が集団イジメのような状態に陥ったという過去があるのだが、主治医との面談でも「ASDの記憶力は異常だから、そんなこと覚えてない相手のほうが普通じゃない?」と一笑に付され更に落ち込むこととなった。社会適合の必要性は認めるし努力しているつもりだけれど、ASDであることをアイデンティティにしてはいないのにトラブルの数々をそこに収束させられると、本当に虚しくなる。相手だって発達障害かもしれないのに
*6:「周りからは明るい人に思われてるけど、本当のあなたは違うんだよね」という台詞が、HSPカウンセラーのみならず占い師やホストの常套句でもあることは、よく知られているだろう。件の知人は自らこういう自己像を伝えてくるのだが、10代ならまだしも、30代でそれをやられても、返答に困るのだ……